発達障害に関する見解

文部科学省調査

令和4年12月に、「児童生徒の困難の状況」という調査結果が発表され、通常の学級において「学習面又は行動面で著しい困難を示す」とされた児童生徒数が8.8%に及んだことがわかりました。これは公立小中学校の教員(主に学級担任)が回答したもので、概ね発達障害が推定される数字となっています。
 
平成2412月にも同様の調査があり、そのときの結果は6.5%でした。すなわちこの10年でおよそ2.3%の増加となっているということです。
 
 

問題の所在

このぶんでいけば、発達障害が疑われる児童生徒の割合はやがて10%を超えていくでしょう。しかしここで問題となるのは、発達障害のある子供が増えることではありません。本来であれば、こうした状態にある子供が増えていくことを前提に学校教育全体を見直していかなければならないのに、実際にはこうした取組は行われず、逆にこうした子供たちを通常の教育とは別の特別支援教育というカテゴリーに押し込め、通常の教育そのものの根本が問われていないところに問題があります。発達障害の子供に対する配慮の要素を、学校教育全体に取り入れていくことによって、教育を変化させていくことが必要なのです。
 

発達障害とは

発達障害とは、主に学習障害・注意欠如多動症・自閉症を指すとされていますが、発達障害を広義にとらえれば知的障害を加えることも可能です。それぞれの状態の一部を記すと次のようになります。
 

  • 学習障害 書くことや計算することなど、特定のことが苦手な状態
  • 注意欠陥多動症 注意力が持続しなかったり、じっとしていることが苦手な状態
  • 自閉症 人間関係やコミュニケーションをとるのが苦手な状態
  • 知的障害 認知機能が全般的遅れている状態

 
 

構造化のアイデア

発達障害の子供たちに対する対応として、学校では構造化というアイデアが用いられることが一般的です。構造化には時間の構造化と空間の構造化があります。時間の構造化としては、朝の会でその日一日の流れをわかりやすく絵カードで順番に示す、空間の構造化の例としては、勉強する場所・休憩する場所・作業をする場所などのように、活動と場所を1対1対応にして、活動に集中できるようにする、などの例があります。
 
 

構造化は人類普遍の営み

このように発達障害の子供に使われる構造化のアイデアですが、実は構造化は社会のいたるところで使われています。例えば時刻表は時間の構造化ですし、路線図は空間の構造化です。歴史的に見ても、カレンダーは時間の構造化であり、世界地図は空間の構造化です。一見異なるように見えても、発達障害の子供の学びの方法はすでに社会のどこにでもあふれているのです。
 
このことは、発達障害の子供のための教育は、通常の教育と異なる何か特別なことをしているのではない、ということを意味しています。時間と空間を構造化してみせることにより子供の認識は発達します。そして子供たちは、人の一生や社会の出来事などを時間と空間の二つの軸で整理して理解することによって、自分の人生を考えたり、将来の社会を構想したりすることが出来るようになります。時間と空間の二つの軸に沿って、自己と社会をより良くしていくという営みに向かうことができるのです。これは、人類普遍の営みであると言えます。
 
 

特別支援教育

現在、我が国では障害のある子供を対象にした教育を特別支援教育と呼んでいます。そして小中学校の通常学級における特別支援教育は、発達障害の子供を対象に特別な支援をする教育とされています。それは通常の教育を前提に、障害に応じた適切な支援をするという考え方です。しかし現在の教育の根本的な課題は、これまでの一般的な教育の内容や方法をそのままにしておいて発達障害の子供への支援をどうするか、という点には存在しません。そうではなく、全ての子供に対する教育をどう再編しなおすか、という点にあるのです。前提としている通常の教育の内容と方法が問われているのです。
 
 

構造化の視点から見た教育活動

学校における教育活動の本質は、教科の勉強や行事などの活動をとおして、子供たちに時間軸と空間軸に沿って様々な事象を整理する能力を身に付けさせるということにあるのですから、発達障害の子供だけに特別な支援をするという考え方は成り立ちません。全ての子供たちを対象に、個々の子供に応じた支援が必要となるのです。
 
 

学校における発達障害の扱い

こう考えると、発達障害のある子供とそうでない子供を分けて考える特別支援教育という概念は消滅します。これが今、世間で言われているところのインクルーシブ教育という考え方です。
 
具体的にどのような形態となるのか、それはそれぞれの学校事情で異なってくるでしょう。また、学習の場面では色々な形態があるでしょう。どのような形であれ必要なことは、子供を発達障害という概念で括ってみないという視点と、それぞれの子供の物の見方や考え方を認知や認識のグラデーションとしてみる視点でしょう。つまりある絶対的な境界線があって、そこから向こうは健常児、こちらは障害児といった見方は成立しないということです。
 
いま世界は、多様性を認めかつ求める世界に向かって進んでいます。ですから子供たちに対しても、多様性を認め、それぞれの得意なことを伸ばす教育が必要となっています。こうした現状においては、発達障害という概念は、学校教育の中では必要のない概念であるといえます。
 


通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果(令和4年)について 文部科学省