障害者基本計画(第5次)に対する見解

障害は関係概念である

障害者基本計画は、平成5(1993)年に成立した障害者基本法第11条第1項に規定された、政府が講ずる障害者施策の基本的な計画です。第5次計画は令和5年3月に策定され生活の各分野にわたる詳細な施策の計画となっています。ここでは、これらの施策の基本となる理念について考えていきたいと思います。
 
計画の「Ⅱ 基本的な考え方」の「1.基本理念」には次のように書かれています。
 

障害者施策は、全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるという理念にのっとり、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現を目指して講じられる必要がある。

 
ここで述べられていることは、全ての国民が「相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会」を実現するためには、基本的人権がおろそかにされがちな社会的少数者である障害者の権利を、国家が意識的に保障する必要がある。なぜなら社会的少数者の人権が保障されて初めて全ての国民の人権が完成するからである、という認識を踏まえた内容となっています。
 
全ての国民が基本的人権をもっている、しかしこの権利がおろそかにされがちな社会的少数者については、基本的人権を保障する取り組みを強化することが必要であるということです。この文章の「障害の有無」を例えば「性的指向」に入れ替えて読んでみても意味がすっきりと通るのは、こうした理由によります。
 
続く文章には、次のように書かれています。
 

本基本計画では、このような社会の実現に向け、障害者を、必要な支援を受けながら、自らの決定に基づき社会のあらゆる活動に参加する主体として捉え、障害者が自らの能力を最大限発揮し自己実現できるよう支援するとともに、障害者の活動を制限し、社会への参加を制約している社会的な障壁を除去するため、政府が取り組むべき障害者施策の基本的な方向を定めるものとする。 *下線筆者

 
初めの下線部分を読むと、この計画書の全体を貫く一つのトーンが浮かび上がってきます。それは、障害者を環境との係わりにおいてとらえるのではなく、環境から独立した個人としてとらえて支援の必要性を説いているようにみえます。自己決定・主体・必要な支援などの言葉は、自立した個人を表しています。
 
しかし障害とはいうまでもなく、環境要因との相関関係で起きる困難な状況をさします。ですから環境から切り離した個人に焦点をあてるだけでは、障害者支援は完成したことにはなりません。障害者に対する差別がなくならない根本的な原因は、障害を個人と結びつけてそこから施策を展開しているからだと私は考えています。すなわち、障害者支援の施策は、障害者とその支援者を含む全ての周囲の環境との関係性を視野に入れて立てなければいけないということです。
 
続く下線部に、「障害者の活動を制限し、社会への参加を制約している社会的な障壁を除去する」とあります。例えばホームに行くのに階段しかない駅は社会的な障壁です。そのためエレベーターが設置されました。個人対社会の場面で、障壁が除去されました。もちろんこのことは、重要は取り組みです。しかしこれで、障壁の除去が完成したわけではありません。
 
一方、環境とのかかわりで障害の除去を考えてみると、例えば、混んでいるエレベーターの列の後ろに車いすの人がいた時に優先して譲ってあげる態度が、これに該当することになるでしょう。
 
このように、障害者施策は、障害者個人への支援により障害者個人の能力を高め障害者個人の自己実現を支援するという基本理念では限界があり、根本的な解決にはいたらないということです。常に社会との関係性を視野に入れて施策を立てる必要がある、人と人との関係性、すなわち社会や共同性というフィールドで障害者施策を考えなければならないということです。
 
  

自立概念を疑う 

厚生労働省のホームページには、自立について次のような説明が載っています。
 

「自立」とは、「他の援助を受けずに自分の力で身を立てること」の意味であるが、福祉分野では、人権意識の高まりやノーマライゼーションの思想の普及を背景として、「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」、「障害を持っていてもその能力を活用して社会活動に参加すること」の意味としても用いられている。(厚生労働省HP「社会保障審議会―福祉部会 第9回 資料2」

 
そもそも「他の援助」を全く受けずに独力で身を立てることができるでしょうか。「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」が出来ている人がどれほどいるでしょうか。障害があろうがなかろうが、誰もが社会の一員であり、その存在自体が「社会参加」の一つの形態ではないでしょうか。
 
東京大学先端科学技術研究所センターの熊谷晋一郎氏によれば「自立とは依存先を増やすことである」とされています。すなわち、健常者が多く自立しているようにみえるのは依存先が多いからであり、障害者が自立していないようにみえるのは依存先が少ないからである、ということです。
 
私もこの自立論に賛成です。その最大の理由は、この自立論は自立を依存との関係でとらえているということ、すなわち他者や社会との関係性を論じているからです。自立とは独力で生きることでもなければ、障害者が目指すべきとされている「自己決定に基づく主体的な生活」のことでもない、ということです。
 
私はこの自立のとらえ方を踏まえ、障害者施策を常に他者及び社会との関係性においてとらえ、障害者個人を他者や社会とつないでいくことを私たちの「基本的考え方」とする必要があると考えます。
 
 

生活の視点で計画を捉え返す

このような視点をもって、障害者基本計画の「Ⅲ 各分野における障害者施策の基本的な方向」の1番目「1.差別の解消、権利擁護の推進及び虐待の防止」を読んでみます。
 

「障害者虐待防止法等」の適正な運用を通じて障害者虐待を防止する

 
障害者虐待防止法の概要は、福祉に携わる職員への研修や虐待の早期発見、また発見した場合の通報の義務などとなっています。いずれも虐待が起きることを前提に、その防止策や虐待が起きた時の対応が書かれています。もちろん法律の制定は必要ですし、虐待する者に対しては厳罰が必要でしょう。また抑止力にもなるでしょう。しかし、このような内容の法律の適正な運用による虐待防止効果は限定的とならざるを得ないでしょう。
 
また、「関連成果目標」として掲げられている目標値として、地域生活支援事業である成年後見制度支援事業を実施する地方公共団体の数を1,650から1,741に増やすこと、ビアカウンセリングの活用に係る事業を実施する地方公共団体の数を634から増やすことなどが掲げられています。
 
これらの数値は法律に基づき行政が取り組むべき目標として設定されるものですから、事業数を増やすことが目標となることは理解します。しかし、私たちがこのような「障害者の虐待を防止する」という国家と同じ認識でいては、障害者への虐待をなくしていくことはできないと思います。いくら関連する事業を実施する自治体を増やしたところで、それが直接的に虐待をなくすことにはつながりません。虐待は、具体的な個人が起こすからです。
 
そこで私たちが出来ることは、そして私たちにしかできないことは、「虐待を防止する」ということではなく、「誰とでも相互に尊重し合う関係性を構築する」ことを「基本的考え方」とすることです。誰とでも相互に尊重し合うのですから、相手が障害者でも同様です。
 
誰とでも尊重し合うということは、別段これに違反しても罰になるわけではありませんので、法律があるから守るのということではなく、法律がなくても守る行為となります。法律で決まっていることでなくても、人として守るべき行為を道徳と言います。
 
法律の世界とは別に、制度や施策の世界とは別に、私たちは、私たちが織り成す日常の世界において、お互いに尊重し合う関係をつくらなければなりません。そのためには、制度の言語を日常の言語に翻訳することによって、すなわち「虐待防止」というスローガンを「相互に尊重し合う関係性を構築する」というスローガンに読み替えることによって、日々の生活の中でそのことを実践することが必要です。こうした取り組みこそが、結果として虐待を起こさないことにつながっていくでしょう。
 
行政計画はこのように読み替えて、自分たちの課題としてとらえなおす必要があると私は考えています。
 
 


障害者基本計画(第5次) 令和5年3月