横須賀海軍航空隊



 京浜急行追浜駅を降りて正面の道をどこまでも行くと、30分ほどで貝山緑地(かいやまりょくち)へ到着します。今はのんびりした公園ですが、実は戦前、この場所に飛行場がありました。ことのおこりは明治45年(1912)、ここは日本海軍による初飛行が行われた場所で、海軍航空発祥の地とされています。横須賀市のホームページによると、この年追浜海岸に水上機の練習場が建設され、11月に河野三吉海軍大尉がアメリカから持ち帰った水上機で初飛行に成功しています。

 その後大正5年(1916)3月に海軍航空隊令が発布され、翌4年、追浜に横須賀海軍航空隊が置かれました。この時に飛行場を作るため海岸が埋め立てられ、夏島は現在のように陸続きとなったそうです。

豫科練誕生之地

海軍甲種飛行予科練習生鎮魂之碑

海軍航空発祥之地記念碑

予科練のこと



 昭和5年(1928)、この横須賀海軍航空隊に第1期の予科練習部が開設されました。予科練とは14歳半から17歳までの少年に、航空機の搭乗員として基礎訓練をさせるものです。

 昭和12年(1937)には、甲種飛行予科練習制度(甲飛)が創設され、従前の制度は乙種飛行予科練習制度(乙飛)となっています(甲種は乙種より年齢と学力の資格要件が若干あがったもののようです)。その後横須賀が手狭になったため、予科練は霞ヶ浦海軍航空隊へ移設となりました。予科練生は戦争が激しくなると訓練を十分に受けられなくなったため、防空壕をつくったり特別攻撃隊となっていきました。終戦までの15年間で約24万人が入隊、うち約2万4千人が戦地へ赴き、8割の1万9千人が戦死したそうです。

 貝山緑地には、三つの石碑があります。そのうちの一つが「予科練誕生之碑」で、「昭和56年6月1日 此の地に学んだ生存者一同」と碑にあります。「光る海 明るい太陽の下 大空をこよなく愛し 国を想うひとすじの少年たちが溌剌としてここに溢れていた」で始まるその碑文は、 全国から横須賀に集まった少年たちの熱意と純真さをうたいあげており、読む者の胸を打ちます。曰く、

敵の我が本土に迫るや特別攻撃隊員となり 名をも命をも惜しまず 一機一艦必殺の体当たりを決行し 何のためらいもなく 無限の未来を秘めた蕾の花の生涯を祖国防衛の為に捧げてくれたのである


 そして、次のように締めくくられています。

豫科練誕生以来 既に五十一星霜 若人たちの至純の赤心が 祖国の安寧と世界平和の礎となることを祈念して 旧学び舎の丘の上にこの碑を建つ


 生存者の想いの深さと重さをここに感じます。我が国の安寧と世界平和を実現することこそが、祖国防衛のために捧げた少年たちの命に報いることになるのだといえるでしょう。

参考文献
○横須賀市ホームページ