横須賀歴史エリア構想

神話~中世エリア






 父である景行天皇から九州にある熊曾の国の討伐の命を受けたヤマトタケルはこれを簡単に征伐しますが、大和に帰国すると今度は東国征伐の命を受けます。伊勢から尾張に入ったところで火攻めの難から逃れたタケルは、次に走水から海を渡り筑波を制圧して東征の任務を終えます。このとき走水までやってきたタケルを待っていたのは、嵐によって荒れた大海でした。ここで妻のオトタチバナヒメが自らの命を海神に捧げ、海を鎮めました。このヤマトタケルとオトタチバナヒメを祀る走水神社と、オトタチバナヒメが海に身を沈めた旗山崎のあるこのエリアを、神話エリアと呼ぶことができるでしょう。父に疎まれたヤマトタケルは大和へ凱旋する途中力尽きて息を引き取りますが、その魂は白鳥となって飛び立ちます。ヤマトタケルの物語を悲劇と呼ぶとすれば、この物語の見せ場は走水にあるといえます。

 走水を西に浦上台・浦賀を抜けた吉井には、およそ1万年前のものと思われる吉井貝塚がありました。また内川をはさんだ佐原では同じ時期と思われる茅山貝塚も発見されています。またここ吉井では、弥生式住居のあとも発見されています。さらに吉井の隣の池田町には大塚古墳(6世紀頃)の遺構も残されていました。そこでこの一帯を原始・古墳エリアと呼ぶことができると思います。

 さらに西へ岩戸・大矢部・衣笠町へ進むと、三浦一族にゆかりのある満願寺・清雲寺・満昌寺をたどりながら衣笠合戦で有名な衣笠城址へ至ります。あの衣笠合戦において義明がひとりで城を守り、三浦党主力はかつて吉井貝塚のあった場所にある怒田城から船で房総にわたり、そこで頼朝と合流した話はとても有名です。鎌倉幕府を支えた三浦一族の役割は、いくら強調してもしきれないくらい大きなものでした。そこで私たちはこのエリアを中世エリアと呼びたいと思います。

 こうして、走水から吉井・池田町・佐原・大矢部・衣笠町へと至る地域を、有史より近代へと至る歴史を刻むエリアとして、まとめて神話~中世エリアと呼びたいと思います。

旗山崎大塚古墳満昌寺