歴史エリア観光海洋作戦


 ① 海に臨む景勝地を海上から船で紹介して観光客を誘致する。
 ② 即ち、三浦半島東西の沿岸に航路を開設して半島各地に寄港する。
 ③ 併せて船は三浦半島だけでなく、大島・伊豆・天城山を結ぶ航路とする。




*横須賀丸
 かつて明治当初、横須賀と横浜の間を走っていた船がありました。それが横須賀丸です。横須賀丸は全長約33m、日・火・金曜日に横須賀を午前7時に出発、横浜を午後4時に出て横須賀に戻ってきました。およそ2時間程度の航海だったそうです。昔の人は偉かった! (*横須賀市教育委員会「社会科副読本」参照)


(説明)

 昭和25年6月28日、旧軍港市が平和産業港湾都市に転換するために、国・地方公共団体の関係諸機関はできる限りの援助を与えなければならない、という旧軍港市転換法が公布・施行されました。この法律は旧軍港4市(呉市、・佐世保市・舞鶴市・横須賀市)のみに適用される法律で、住民投票で過半数の賛成を得ることにより発効する特別法なので、横須賀市でも住民投票が行われ、賛成91%という高い賛成を得て成立しています。

 この旧軍港市転換法を受け横須賀市では、市長を委員長とし、市議会議員・県議会議員・衆参両院議員・県や市の担当者・商工会議所・観光協会の代表者らを委員とする「横須賀市転換計画審議会」を7月6日に設置し、転換計画に関する審議を行っています。

 この審議会において審議された計画の中に、昭和25年8月に出された「横須賀市観光計画」があります。この計画書をみると、当時の関係者が横須賀市における観光事業の振興にかける意気込みが伝わってきます。

本市及其の近郊は永年に亘る要塞化によって丘陵及び海岸線は遮断され全く窺ひ知ることが許されなかったのであるが、終に終戦後軍の解体と共に要塞の障壁を除却された海と山の眺望は本邦稀に見る絶景であつて恰も平和日本を象徴する如く観光日本の処女地としてクローズアップされてきたのである。(「横須賀市観光計画」)


 横須賀市は戦争中、要塞化されていたためその景観は目立たなかったが、平和な時代を迎え観光地として注目されてきたといい、具体的には、次の特定の5つの地区についてこれを観光地帯と定め、事業の目的をそれぞれに定めています。(※目的は要点を抜粋)

1 観音崎、走水観光地帯
目的  リクレーション保健上の施設と併せて、外客誘致のためのゴルフ場観光ホテル等の高度の人工施設と自然の美をすかした(ママ)総合的観光施設地帯とする

2 三笠、猿島観光地帯
目的  三笠は児童遊園地、水族館、宿泊所等として、猿島はキャンプ、娯楽場、ホテル等一般大衆を対象とした人工的施設による観光地とする

3 塚山公園観光地帯
目的  散策地として樹木、芝生の保存をし、自然の美と静けさを持った観光地帯たらしめる

4 鷹取山観光地帯
目的  ハイキング、岩登り等青少年、家族連れ観光地とする

5 衣笠、大楠、武山観光地帯
目的  ハイキング、観桜、ピクニック等の行楽地として自然の美を中心とした観光地とする


 さらに、観光化にあたっては、市が観光企業者をできる限り援助をすること、観光地帯内にある旧軍用財産の土地については(法律に基き設定された農地と売払い済のもの以内(ママ)は)全て市が転換法により譲渡を受けるとしています。

 こうした計画のおかげもあったのでしょうか、これらの5地区はいずれも一定の観光地となってはいますが、実際には、ここで考えられていたようなゴルフ場や観光ホテルの立つ観光地とまではなっていません。これは、「山と海の眺望」だけで観光地となる程には、横須賀の景色は絶景ではないことを表しているのだと思います。そこで横須賀が観光地となるには、自然の景観に加えて付加価値が必要となります。その付加価値とは「テーマ」ということです。

 つまり、観光には「テーマ」が必要だということです。私の考える歴史エリア構想は、それぞれのエリアに「テーマ」を与えるものです。四つのエリアはそれぞれに「古代」「神話から中世」「明治維新」「近現代」というのテーマを持ち、同時にエリア全体としては「横須賀と日本の通史」というテーマがあります。一方、実際にはそれぞれのエリアは現実には距離があります。そこで、これらのエリアを巡るために移動手段が必要になります。「テーマ」がつながっているように、実際のエリアもつなぐ必要があります。この課題に対しては、実は昭和21年にすでに解答が出されていました。

横須賀市更生総合計画説明書(昭和21年)
 第一 交通運輸機関ノ整備拡充計画
 (5)海上交通
 会場交通機関ノ整備ニ伴ヒ之ガ補助機関トシテ海上通路ヲ開設シ陸上交通ノ欠ヲ補足シ併セテ臨海景勝地ヲ海上ヨリ紹介シ観光客ノ誘致ニ努ムルモノトス、即チ東西沿岸航路を開設シ沿岸各地ニ寄港シテ陸上連絡ヲ計ルト共ニ、大島伊豆熱海油壺方面ヲ結ブ循環航路ハ三浦半島、大島、伊豆、天城山ノ各国立公園ヲ海上ニ依リテ連繫スベク、観光地紹介ニ寄与スルコト大ナルモノアリト信ズ

(「新横須賀市史 資料編 近現代III」)


 冒頭の「観光海洋作戦」は、実は昭和21年に策定された計画です。なかなか壮大な計画です。横須賀にはやはり海と船が似合います。

 ところで横須賀市はこの更生総合計画において、鎌倉から逗子・横須賀・三崎に至る半島地域を国立公園の指定を受けることを想定していたので、伊豆・大島と横須賀が結ばれるテーマは国立公園という点にありましたが、国立公園というテーマが消滅してしまっている以上、他県と三浦半島を結ぶためには何か別のテーマが必要でしょう。そのテーマとはズバリ「明治維新」です。

 海上交通の有効性は現在でもなくなっていないと思います。なんとかこの計画を実現できないものでしょうか。今横須賀本港には軍港めぐりの船が就航しており、満員の乗客を乗せている状況があります。この船には「軍港めぐり」というテーマがあります。明確なテーマには集客力がある、ということの証明になっています。

 三浦半島東岸、東京湾は、かつてペリー艦隊が航行し、遣米使節団が咸臨丸で米国に向かった航路です。もっと時間を遡れば、衣笠合戦で敗れた三浦党が久里浜から東京湾を横断し房総に向かい頼朝と合流したと、いう歴史もあった海です。横須賀の歴史をたどりながら日本の歴史をたどる「旅」をする時に、移動手段として「船」を用いることは、咸臨丸を考えても戦艦三笠を考えても、まさに横須賀らしいやり方といえます。「船」による移動そのものに「テーマ」が込められているからです。横須賀歴史エリア戦略の成功のためには、この観光海洋作戦が必要となります。エリアとエリアを結ぶこの「交通」問題が解決した時、それぞれのエリアのテーマパークが連続性を獲得し、「街全体がテーマパーク」となることができる。これが私の考える観光海洋作戦です。