日本のESD批判

世界のESD

はじめに


 日本のESDを考えるにあたって、「CSR」すなわち企業の社会的責任に関する次のような文章が目にとまったのでご紹介したいと思います。これは、東洋経済ONLINE2014年3月3日)に掲載されていた文章です。

CSRと聞いて、読者の皆さんは何を思い浮かべるだろうか?CSRは英語「Corporate Social Responsibility」、その和訳は「企業の社会的責任」であり、一般的なイメージとしては、ボランティアや寄付活動、また法令順守や環境保護活動といったものではないだろうか?「重要だとは思うが、企業の本業に関係がない、追加的に実施されるもの」といったイメージではないか。もし、今あなたがそのようなイメージを持っているとしたら、グローバルのCSRスタンダードの認識から後れていると言わざるをえない。


 これは、サスティナビジョンという英国ロンドンに拠点を置いて日本企業のCSR/サステナビリティ活動を支援している会社の代表取締役である下田屋毅氏の文章です。私は、日本のESDCSRと同様に、従来の教育に「追加的に実施されるもの」という受け取りが一般的なのではないかと感じています。そしてそれは、国民の認識が「後れている」というよりは、政府・文部科学省など国の作成する計画等における記述からすでに、このような認識に立っているのではないかと疑われるふしがあるからです。こうした問題意識で、国連・ユネスコが掲げるESDと我が国のESDを比較検討してみたいと思います。

個人の育成から社会の存続へ


 世界のESDについての文書はたくさん出ていますが、ここでは、2005年にユネスコ理事会で採択された「国連持続可能な開発のための10年国際実施計画」(ここでは案の全文仮訳)から引用します。まずは、「教育の中心的な役割」について書かれた文章をみてみます。

  • 教育は、我々の各々には世界的な規模で前向きな変革をもたらす力と責任があるという考えを抱かさせるものではくてはならない。
  • 教育は、人々が社会について抱いているビジョンを実現する能力を向上させることにより、持続可能な開発への変化をもたらす第一のエージェントである。
  • 教育は、持続可能な未来のために必要な価値観、行動、ライフスタイルを育む。
  • 持続可能な開発のための教育は、すべての共同体の長期にわたる公平さと経済、生態系を考慮した意思決定をいかに行うかについて学習するプロセスである。
  • 教育は、そのような未来志向の思考能力を育てるものである。


 持続可能な開発という用語はあまりなじみのない表現ですが、環境問題、貧困、自然資源の管理など多くの課題を抱える人類は、今のままでは持続が不可能になるという危機感を踏まえ、「将来の世代がそのニーズを満たす能力を損なうことなく、現世代のニーズを満たす開発」であると定義されています。そして持続可能な開発の鍵を握るのが、教育という取組であるところから、持続可能な開発のための教育という考えが出てきました。

 ここで扱われる教育の概念は、個人の育成というよりも、社会の存続ということに力点が置かれているようです。社会の存続のために求められる意識や能力を育てる活動として教育がクローズアップされている印象です。そして、人類の存続への危機感を背景とすれば、確かに教育がこのような方向に変わる必要があると思われます。

 次に、CSR(企業の社会的責任)が追加的なものではない、という考えと内容的に同一のことがESDにおいても言われているので、その記述をみてみます。

教育の目的の転換

持続可能な開発のための教育は、既にめいっぱいのカリキュラムに追加される「もう1科目」とみなすべきではない。すなわち、優先順位の争いということではなく、持続可能な開発を教育の目的の達成という文脈で扱う、総合的な、または「学校全体の」アプローチとしてみなされるべきものである。就学前から高等教育までの教育システムを学習者が進んでいく過程で、ESDを糸として織り込むことは、その効果を最大なものとする。


 この文章を日本の教育にあてはめて考えてみれば、ESDの内容を学習指導要領の中の一つの項目に取り入れることがESDではない、ということがわかります。具体的にいうと例えば、総合的な学習の時間に環境問題を子どもに考えさせること、これはESDではない、ということです。そうではなくESDとは、人類を持続させるために必要な取組を考え実践することを教育の目的とせよ、という考え方のことです。教育の目的を人類の存続ということに焦点化せよ、ということです。私たちはすでに、人類の存続を教育の目的にせざるを得ないほど、切羽詰まった危機的な状況に置かれているのだ、とも言えます。

教育の特徴


 次に、教育の特徴として次の6点が挙げられています。

  • 学際性、総合性:持続可能な開発のための学習は、すべてのカリキュラムに盛り込まれるものであり、個別の課題ではないこと
  • 価値による牽引:持続可能な開発を支える価値観や原則を共有すること
  • 批判的な思考と問題解決:持続可能な開発が抱えるジレンマとそれへの挑戦を明らかにすることへの自信を導くものであること
  • 様々な方法:言葉、美術工芸、演劇、討論、経験など、プロセスを形作る異なった教育法
  • 参加型の意思決定:いかに学ぶかについての意思決定に学習者が参加すること
  • 地方との関わり:地球規模の問題に加えて地方の問題を扱うこと、及び学習者がもっとも普通に使っている言葉を使うこと


 ここで掲げられている「個別の課題ではない」という言い方は、ESDが追加的に実施されるものではない、ということと同一のことです。ESDを推進するためには価値観を共有することが必要である、というときの価値観とは、人権・平和と安全・男女間の平等・文化の多様性・自然資源といったことについて、これらを守るべき価値とする考え方を共有する、ということを表しています。

 また、必要なことはこれらの価値を守るためには問題解決という実践が必要であり、そのためには、現状に対する批判的な思考が求められること、これらの教育は様々な方法で取り組まれるべきであること、これらの取組を学習者自身が決定していくこと、そして最後の6点目に、最も私たちにとって大切なことだと思われることが述べられています。

 まず、「地球規模の問題に加えて地方の問題を扱うこと」とありますが、これは、地球規模の問題と地方の問題を同一水準で扱う、と受け取るべきでしょう。例えば、地球環境の問題は地域で起きることと地球規模で起きることが同一である、という側面があります。また、世界でどこかで起きる戦争は、横須賀の基地の動きと密接な関係があるでしょう。かように、現在とは、地方が世界であり、世界が地方である、という状況にあると考えてよいと思います。横須賀という地方の問題を扱うことは、そのまま同時に世界を扱うことになるのです。

 そして最後の「学習者がもっとも普通に使っている言葉を使うこと」という文章をかみ締める必要があります。この「実施計画」にも、ESD、ステークホルダー、アジェンダ、スキーム、ミレニアム、リードエージェンシー、ハビタット、ターゲット、インプット、ガバナンス、イニシアチブ、バーチャルキャンパス、ツールキット、パフォーマンス。数え上げればきりのない、難しいカタカタ文字が羅列されています。そもそも「持続可能な開発」という用語も説明されなければよくわからない言葉です。

 この計画書は英文の訳なので、当てはまる日本語がなければカタカナ表記も仕方ないと思います。しかし私たちが地方においてESDを推進しようと考えるにあたっては、ESDという言葉からまず使わないようにして、適当な日本語で表現することに努めなければならないでしょう。そうしないと、広く人々に伝わることが期待できません。

 以上、日本のESDを考えるにあたって必要な視点を整理してみました。次に、実際の日本のESDに関する文書にあたってみます。ここではまず、 平成18年3月30日決定、平成23年6月3日改訂の「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画を取り上げます。

日本のESD

日本のESD「実施計画」


 まず、現状の課題として、世界的規模での人口増加、地球温暖化、穀物生産量の伸び悩み、水のストレス(制約)を受ける人口の増加、生物多様性の減少、国内での少子高齢化、「格差社会」「無縁社会」などと呼ばれる現象などが挙げられています。課題の把握は良いとして、気になるのは次のような記述です。これは、平成23年度における改訂のポイントに関する記述の一部です。

  • ESDの普及促進をさらに加速させ、ESDの「見える化」、「つながる化」を推進。
  • 新しい学習指導要領に基づいたESDの実践、ESDの推進拠点としてのユネスコスクールの活用など、学校教育を活用してESDを推進。


 1点目の「見える化」「つながる化」とはどういうことか、具体的な説明があるので、それをみてみます。文中の「こうした取組・活動」とは、例えば環境を軸としまちづくり活動などをさしています。

そこで、こうした取組・活動としての中から、ESDの理念に合致するものを掘り起こし、ESD活動の一つとして捉え直すとともに、社会的にあまり認知されていないESD活動を多くの人の目に触れるよう発信する「見える化」を図ります。これにより、各地域における持続可能な地域づくり活動への人々の直接的・間接的な参画を促進します。また、活動実践者同士を連携させるとともに、実践者と支援者を橋渡しする「ESDのネットワーク」を形成し、「つながる化」を図ります。


 私は別にESD活動など、社会的に認知されていなくても少しも気にしなくていいと思います。ESDの理念が共有されて、現実が批判的に検証され、変革への実践がなされていればそれでいいことです。ESD(とユネスコ・国連が呼んでいる)理念は、国内においてESDを広めることではなく、例えば学校教育でいえば「学習指導要領」の内容をESDの理念を踏まえて全面的に置き換える、といったようなことを意味していると私は考えています。

 2点目に「新しい学習指導要領に基づいたESDの実践」とありますが、これなど冒頭の文章にあったように、「追加的な実施」の好例だと思います。文部科学省が自慢げに掲げる「学習指導要領におけるESD関連記述」とは次のようなものです。

学習指導要領

20083月に幼稚園教育要領及び小学校・中学校の学習指導要領が、20093月には高等学校の学習指導要領が公示されました。この新しい学習指導要領等には、持続可能な社会の構築の観点が盛り込まれています。教育基本法とこの新しい学習指導要領等に基づいた教育を実施することによりESDの考え方に沿った教育を行うことができます。


 まずは小学校学習指導要領の記載が紹介されます。

1. 小学校
小学校 総則
道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、人間尊重の精神生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心を持ち、伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図るとともに、公共の精神を尊び、民主的な社会及び国家の発展に努め、他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を開く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。


 この文章は文部科学省のHPに掲載されているものです。下線の意味が書かれていないのですが、おそらく下線の部分がESDに関連する記述であるといいたいのだと理解されます。しかし、「我が国と郷土を愛し」も「民主的な社会及び国家の発展に努め」も、ましてや「他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を開く」も全てESDに関連しているのではないでしょうか。こうした関連を「見える化」することは、かえってESDをわかりにくくし、なおかつ追加的な印象を与え、とっつきにくくしているように私には思えます。さらに「持続可能」という表現も見られます。これは、2008年の改訂であらたに出てきた言葉です。

 次に中学校学習指導要領の紹介です。

2. 中学校
中学校 社会 公民的分野
持続可能な社会を形成するという観点から、私たちがより良い社会を築いていくために解決すべき課題を探究させ、自分の考えをまとめさせる。
中学校 理科 第1分野及び第2分野
自然環境の保全と科学技術の利用の在り方について科学的に考察し、持続可能な社会を作ることが重要であることを認識すること。


 そもそも「持続可能」という用語は一般的ではないですし、「持続可能な社会」といわれてもなんのことかさっぱりわかりません。その上、社会科で扱う「持続可能な社会」と理科で扱う「持続可能な社会」は内容が異なるのではないでしょうか。同じ言葉で括っただけでさもESDを取り入れている、と自慢げに語っているようで、非常に安易だと思います。

 国連・ユネスコで主張されているように、「学習者がもっとも普通に使っている言葉を使うこと」という原則が、我が国ではさっぱり貫徹されていません。例えば社会では「人権が尊重された民主的で平和な社会を形成するという観点から」とか、理科では「自然を破壊することなく明るく快適な暮らしのできる社会を作ることが重要であることを認識する」とか、もっと普通の言葉で語れないのでしょうか。そしてもう1点、東日本大震災を受けた記述を取り上げてみます。少し長くなりますが、その部分を引用します。

 なお、2011年3月11日に発生した東日本大震災及びそれに起因する原子力発電所事故、電力不足の状況等は、我が国におけるESDの実施のあり方にも大きな影響を及ぼすものです。
 例えば、今次の大震災は、自然災害への万全な備えが、持続可能な発展のために絶対的な必要条件であることに改めて気づかせ、これまで以上に、自然への理解を深めること、自然との共生のあり方について真剣に考えることが必要だと思い知らせました。また、東日本大震災及びそれに起因する原子力発電所事故、電力不足の状況等に直面することにより、多くの人がエネルギーの供給と利用のあり方を含む「持続可能な社会」像を考え直さなければならないと感じています。さらに、我が国は被災地を中心として復旧にとどまらない、新しい地域づくり、社会づくりを日本全体で構想していくこととなりますが、「持続可能な社会」はその際の柱となる考え方の一つとなると思われます。
 他方で、現下の状況を見ると、大震災による被害から安心した日常生活を取り戻すのにも、まだしばらく時間がかかる状況にあります。大震災等の経験を基にした教訓や復興についての考え方をまとめ、それをESD実施計画に反映させるには、もう少し時間を要します。
 このため、大震災や原子力発電所事故等の経験を基にした教訓や復興についての考え方をESDの推進にどう生かしていくかについては、被災地の安定等を待って改めて議論し、それを踏まえて再度実施計画を改訂することとします。



 震災の多い我が国にあって、原子力発電の危険性は誰の目にも明らかではないでしょうか。再生エネルギーにシフトして行くことはすでに世界の趨勢ではないでしょうか。「被災地の安定等を待って改めて議論し」とは、何とも危機感のなさを感じます。被災地の人々はもっと早い対応を望んでいるのではないでしょうか。ユネスコ・国連のESDと我が国のESDの温度差をとても感じた部分です。我が国のESDは、これではESDになっていないといえるかもしれません。

 国連・ユネスコのESDの趣旨を活かした横須賀版ESDを構築するしかないと思います。