公郷町
平安時代末期、三浦半島は「御浦郡」といわれていました。当時の地方の行政単位は、郡-郷-村です。御浦郡の隣は鎌倉郡です。
御浦郡には田津・御浦(みうら)・氷蛭(ひるる)・御埼(みさき)・安慰の五つの郷があり、さらにその下に現在の地名にそのまま残っている今の町(衣笠・矢部・森崎など)があったようです。
ところで、郡には郡衙(ぐんが)という郡の役所がありますが、御浦郡の役所は御浦郷にあったと考えられます。この御浦郷のあった場所が、現在の公郷一帯のようです。公郷とは公(おおやけ)の郷(ごう)ということですから、郡衙のある御浦郷をさしている、と考えられています。つまり公郷一帯は三浦半島の中心部であった、ということになりそうです。
もう一つのポイントは曹源寺です。当時の旧東海道は由比ヶ浜から葉山を経て内陸に入り、池上から公郷をとおり森崎・野比へと至る、今の県道27号のルートでした。曹源寺(当時は宗元寺)は奈良時代以前からある古刹で、この旧東海道沿いにあります。御浦郡の役所がある御浦郷にふさわしい大きなお寺。なるほどと思わせます。
参考文献:新横須賀市史 通史編 自然・原始・古代・中世
![]() 公郷町奈良時代から続く曹源寺 |
![]() 公郷町動物火葬場 |
![]() 公郷町横須賀指定緑地の竹林 |
![]() 公郷町いちょうに囲まれた公郷小学校 |
![]() 公郷町公郷中学校 |
![]() 公郷町公郷中学校沿いの洒落た小径 |
衣笠駅から逸見方面へ
衣笠駅を中心に広がるエリアです。横須賀線の北側、衣笠栄町にある光心寺は、駅のそばにこんな落ち着いたお寺があるのが不思議な感じがします。金谷(かねや)は面積的には小さな町ですが、狭い路地と坂の多い住宅地で、とても味わいのある町です。
横須賀線の南側、小矢部は三浦一族の衣笠城の麓の町、平作は名前の通り平たい土地です。池上は古くからの街並みと新しい街並みが池上十字路を中心に合体したような町です。阿部倉は大楠山へ向かう土地で、住宅地はあまりありません。ここには阿部倉温泉がありましたが現在は閉館しているようで、とても残念です。
![]() 衣笠栄町光心寺 |
![]() 衣笠栄町衣笠駅 |
![]() 金 谷坂と路地の町 |
![]() 池 上池上小学校 |
![]() 池 上池上中学校 |
![]() 阿部倉しょうぶ園 |
![]() 平 作城北小学校 |
![]() 平 作衣笠中学校 |
![]() 平 作万葉公園、これが公園? |
衣笠駅から林方面へ
衣笠十字路を林方面に進んで左右に広がる住宅地で、おおむね横浜横須賀道路に至るエリアです。このエリアには、三浦大介ゆかりの衣笠城址があり、衣笠山から佐原に向かう道沿いには、三浦氏ゆかりのお寺や史跡がたくさんあります。佐原はもちろん、佐原義連ゆかりの土地です。森崎・大矢部には比較的新しい住宅地が広がっています。
![]() 小矢部衣笠小学校 |
![]() 小矢部衣笠山公園 |
![]() 小矢部公郷から小矢部へ真っ直ぐに続く横須賀線 |
![]() 森 崎森崎の高台の森崎小学校 |
![]() 森 崎ろう学校の隣にある大矢部中学校 |
![]() 森 崎馬淵曜が始めた市立ろう学校 |
![]() 大矢部住宅地の中にある大矢部小学校 |
![]() 大矢部市立公園墓地 |
![]() 衣笠町こんな所に温泉? |
地区計画情報
池上地区
池上の面積は1.075㎢=107.5haですから、全体のおよそ1/5が計画区域となっています。池上十字路から逸見駅に向かう道路の一つ目の信号を左に曲がると池上地区となり、広い住宅が広がります。生活支援施設地区には、京急ストアーがあります。
名 称 | 面積(ha) | 都市計画決定(当初) | 地区の区分 | 土地利用の方針 (敷地面積の最低限度) |
池上地区 | 21.9 | H12.4.11 | 低層住宅地区 |
低密度で閑静な住環境の形成 (150㎡) |
生活支援施設地区 | 地区内外の樹民の生活利便に 寄与する生活支援環境 |
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沿道施設地区 | 地域幹線道路沿道に展開する 商業、業務環境等 |
引用:横須賀市ホームページ
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