戦争時代の横須賀

 明治22年に大日本帝国憲法が発布され、近代国家としての日本の骨格が定まります。このあと日本は帝国主義列強の仲間入りを果たし、戦争の時代へと突入していくことになります。

 ここでは、日本の国の動きと、その時横須賀では何が起きていたのかを並べてみてみました。日清・日露戦争から第一次世界大戦、日中戦争から太平洋戦争と続く時代において、横須賀が海軍の拠点として日本の戦争を最前線で担っていた様子がわかると思います。


(*「横須賀の出来事」に出てくる艦艇は、横須賀海軍廠〔砲艦「愛宕」は横須賀造船所〕において竣工された艦艇です)





日本の出来事 横須賀の出来事
明治17年(1884)   

東海鎮守府が横須賀に移転(横須賀鎮守府)
主に西日本の防備・艦艇の統率補給、兵員の徴募訓練等を行う日本海軍の根拠地

明治18年(1885)     
明治19年(1886)     
明治20年(1887)   


明治21年(1888)     
明治22年(1889)   

砲艦「愛宕」竣工
鉄材と鋼材で建造された日本初の軍艦
日清戦争・北清事変・日露戦争に参加
M37旅順港封鎖作戦に従事中に座礁沈没 

明治23年(1890)     
明治24年(1891)     
明治25年(1892)     
明治26年(1893)     
明治27年(1894)

清国に宣戦布告(日清戦争)

不入斗を衛戍地(えいじゅち:軍隊が長期に駐屯して警備防衛にあたる土地)としていた要塞砲兵第一連隊(後に東京湾要塞砲兵連隊となる)、日清戦争に参加

明治28年(1895)

下関条約調印
清に朝鮮の独立、遼東半島と台湾・澎湖列島の割譲、賠償金二億両(テール)の支払いを認める
その後ロシア・フランス・ドイツの三国干渉により遼東半島を清に返還

威海衛軍港で捕獲した清国北洋艦隊主力艦「鎮遠」が戦利品として横須賀町で観覧される

明治29年(1896)    
明治30年(1897)    
明治31年(1898)    
明治32年(1899)    
明治33年(1900)

北清事変
清国で起こった義和団と農民の排外運動に対し、日本を含む8ヶ国の連合軍がこれを鎮圧した事件

 
明治34年(1901)    
 明治35年(1902)

日英同盟締結
ロシアの東アジア進出をけん制し、中国・朝鮮における両国の権益を保護する目的

 
明治36年(1903)  

横須賀造船所が横須賀海軍工廠となる

 明治37年(1904)

ロシアに宣戦布告(日露戦争)

東京湾要塞砲兵連隊が戦時編成され野戦重砲兵連隊として清国・鴨緑江での戦闘に参加

明治38年(1905)

日本海海戦

ポーツマス条約
韓国における日本の優越権の承認、旅順・大連一 帯の租借権・南満州鉄道・南樺太の割譲

第4号ドック竣工(239.0m)


明治39年(1906)  
 明治40年(1907)  

長浦の水雷術練習所が海軍水雷学校となる
水雷術(魚雷・機雷・爆雷)の指揮官・技官を養成
S16機雷部門が独立し海軍機雷学校として長瀬に移る
S19「震洋」「回天」など特攻要員の教育が行われるようになる 

明治41年(1908)    
明治42年(1909)  


明治43年(1910)

韓国併合

戦艦「薩摩」竣工
日本初の自前の戦艦、第一次世界大戦に参加  

明治44年(1911)  

楠ヶ浦に海軍砲術学校新築校舎落成
砲術指揮官・技官を養成
S16館山に陸上砲術学校が新設されたことに伴い海上砲術を行う横須賀砲術学校となる(人員3,100人) 

明治45年(1912)     
大正 1年(1912)    戦艦「河内」竣工
第一次世界大戦に参加
大7(1918)徳山湾停泊中に爆発着底、621名殉職  
大正  2年(1913)    
大正  3年(1914)

ドイツに宣戦布告(第一次世界大戦に参戦)

巡洋戦艦「比叡」竣工
第一次世界大戦参加後、ロンドン軍縮会議により武装や装甲を撤去し練習艦となる
戦艦に改装後太平洋戦争に参加、ソロモン海戦において沈没

横須賀から第一南遣支隊を派遣(ドイツ東洋艦隊を追跡のため)
巡洋戦艦「鞍馬」「筑波」、装甲巡洋艦「浅間」、第十六駆逐隊「海風・山風」を派遣
赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領

第二南遣支隊派遣
戦艦「薩摩」、巡洋艦「平戸」「矢矧(やはぎ)」を派遣
西カロリン、マラッカ海峡方面の警備、オーストラリア周辺航路の安全活動を行う

大正  4年(1915)  


大正  5年(1916)  

追浜に横須賀海軍航空隊(通称:横空)設置 

日本海軍最初の航空隊

横須賀鎮守府司令長官に直隷 

大正  6年(1917)  

巡洋戦艦「筑波」横須賀軍港において火薬庫の爆発により沈没

戦艦「山城」竣工
ミッドウェー海戦に参加、レイテ沖海戦にて沈没 



軍艦山城之碑

平成7年10月25日建立

ヴェルニー公園の中に戦争にまつわる碑が集まっている場所があります。その中の一つが、この碑です。碑文中央右側に軍艦山城の艦暦、左側に戦歴が書かれています。
 戦歴の記載によると、山城は横須賀鎮守府管下最初の同弩級軍艦として連合艦隊において優れた成績を挙げ、太平洋戦争が始まると各地を転戦し、昭和19年10月フィリピンで大破。乗員1600余名と海底深く沈んだ、とあります。
 「ここに亡くなられた方々のご冥福をお祈り致し追悼慰霊祭を挙行し世界平和の願いをこめ、再び戦争の惨禍の起こることのないようにすることを決意し此の碑を建立する」という軍艦山城之碑建立委員会による碑文が胸を打ちます。




日本の出来事 横須賀の出来事
大正  7年(1918)

シベリア出兵
1917年におこったロシア革命に武力干渉する目的で、フランス・イギリス・日本・アメリカが共同出兵

第一次世界大戦終了(11.11)

 
大正  8年(1919)

ベルサイユ条約調印
日本は山東半島の旧ドイツ権益と赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の委任統治権を得る

 
大正  9年(1920)  
大正10年(1921)  

戦艦「陸奥」竣工
交戦の機会なく柱島泊地にて火薬庫が大爆発して轟沈 

大正11年(1922)

ワシントン会議
保有主力艦の総トン数比率、米・英5、日3、仏・伊1.75と定める(五か国条約)
中国の領土保全、門戸開放、機会均等などを定める(九か国条約)
米・英・仏・日により、太平洋上諸領地の現状維持、紛争があった場合の共同会議による解決を定める(四か国条約)
日英同盟の廃棄

シベリア撤兵

航空母艦「鳳翔」竣工
世界最初の本格的航空母艦
ミッドウエー海戦に参加 

大正12年(1923)  

関東大震災
箱崎の重油槽から重油8万トンが港内に週出、爆発炎上
空母「天城」(大9起工)空母改造工事中大破 

大正13年(1924)    
大正14年(1925)    
大正15年(1926)    
昭和 1年(1926)    
昭和 2年(1927)    
昭和 3年(1928)  

航空母艦「加賀」竣工
第一次上海事変、真珠湾攻撃、ラバウル・ポートモレスビー攻撃に参加
ミッドウェー海戦で沈没

稲岡町に海軍工機学校再興
M40に開校し、T3に廃校となっていた
機関(エンジン)工作、造船術の教授 

昭和 4年(1929)    
昭和 5年(1930)

ロンドン軍縮会議
日本の補助艦の保有率が対米・英の約7割となる
これに軍部や政友会が強く反発し統帥権干犯と政府を攻撃

田浦に海軍通信学校発足
田浦の水雷学校電信部が海軍通信学校として独立
無線通信に関わる要員の教育訓練・技術研究を行う
S14久里浜に移転、S18暗号の重要性が高まり山口県にも通信学校ができたことに伴い名称が横須賀海軍通信学校となる(このときの人員6,600人) 

昭和 6年(1931)

満州事変
奉天北部の柳条湖において南満州鉄道の線路が小爆破された事件。満州事変の発端となった。

 
昭和 7年(1932)

満州国建国宣言
五・一五事件
青年将校らが首相官邸などを襲撃し犬養毅首相を暗殺

浦郷地区に海軍航空廠設立
海軍航空機やエンジン等の設計・試作・実験・研究・調査等を担当
それまでバラバラであった海軍の航空分野を統一的に所管する部局ができた 

横須賀鎮守府で軍法会議
五・一五事件の犯人(海軍関係)に対する軍法会議、100万人を超える助命嘆願が集まる

昭和 8年(1933)

国際連盟脱退

リットン報告書排撃横須賀市国民大会 
主催者代表大井市長、リットン報告書を妄断・越権とする宣言を決議


航空母艦「龍驤」竣工
マレー・シンガポール攻略戦に参加、第二次ソロモン海戦で沈没 

昭和 9年(1934)  

楠ヶ浦の横須賀砲術学校射撃場跡地に海軍航海学校庁舎完成
海軍砲術学校・水雷画工修了者を対象に、艦船の運用に必要な航海術・操艦術や光学通信・天文気象観察術などを教える 

昭和10年(1935)    
昭和11年(1936)

二・二六事件
国家改造を目指す陸軍青年将校による反乱
高橋是清蔵相、斉藤実内大臣ら暗殺

二・二六事件に対し、横須賀鎮守府参謀長井上成美少将、横須賀特別陸戦隊2,000人を派遣し海軍省を警備 

昭和12年(1937)

蘆溝橋事件(日中戦争始まる)
*支那駐屯歩兵旅団長 河辺正三少将 
*第一連隊長 牟田口廉也大佐

日中戦争勝利の提灯行列が続く 

昭和13年(1938)    
昭和14年(1939)

ノモンハン事件
モンゴルと満州との国境地区(ノモンハン)でソ連軍との大規模な衝突事件が起こる。
*関東軍参謀作戦主任参謀 服部卓四郎中佐  
*作戦参謀 辻政信少佐

第二次世界大戦

海軍航空廠、海軍航空技術廠(空技廠)へ名称変更

航空母艦「祥鳳」竣工 
珊瑚海海戦に参加するも初日に魚雷と爆弾により沈没

航空母艦「飛龍」竣工
真珠湾攻撃に参加、ミッドウエー海戦で沈没

昭和15年(1940)

日独伊三国軍事同盟 

第6号ドック竣工(337.0m) 

航空母艦「瑞鳳」竣工
ミッドウェー海戦に参加、レイテ沖海戦で沈没 
昭和16年(1941)

真珠湾攻撃(12.8)

航空母艦「翔鶴」竣工
真珠湾攻撃に参加、マリアナ沖海戦で撃沈 

昭和17年(1942)

ミッドウェー海戦(6.5)

米軍、ガダルカナル島上陸(8.7)
*参謀本部作戦課長 服部卓四郎大佐
*作戦参謀 辻政信中佐

ドゥーリットル空襲
空母「ホーネット」よりB25発進、13番機が横須賀を攻撃
三つの爆弾と焼夷弾を海軍工廠などに投下

航空母艦「龍鳳」完成
潜水母艦「大鯨」を改造、マリアナ沖海戦に参加 

昭和18年(1943)

アッツ島玉砕






昭和19年(1944)

インバール作戦開始(3.8)
*ビルマ方面軍司令官 河辺正三中将 
*第十五軍司令官 牟田口廉也中将

米軍サイパン島上陸(6.15)

マリアナ沖海戦(6.19)

フィリピン沖海戦(10.24)

航空母艦「信濃」竣工
呉への回航中、米潜水艦の魚雷攻撃により実戦に投入されることなく沈没


航空母艦「雲龍」竣工
完成後4ヶ月後、東シナ海で米潜水艦の雷撃を受けて沈没 

昭和20年(1945)

米軍硫黄島上陸(2.19)

東京大空襲(3.10)

米軍、沖縄本島上陸(4.1)

広島に原子爆弾投下(8.6)

ソ連対日宣戦布告(8.8)

長崎に原爆投下(8.9)

ポツダム宣言受諾(8.15)

空襲(2.16~17)
横須賀市街地が機銃掃射を受ける

空襲(7.10)
追浜飛行場に爆弾投下

空襲(7.18)
軍港内に繋留中の戦艦「長門」(開戦時山本五十六連合艦隊の旗艦)が標的となる。「長門」およびその周辺で35人、市内で21人の死者がでたとされる。

米海兵隊上陸(8.30)
第四海兵連隊第三大隊グリーンビーチ、同第一大隊レッドビーチに上陸 


軍艦長門碑

昭和51年5月27日建立




 長門は大正9年11月25日竣工、40㎝主砲を初めて搭載した高速戦艦で、就役以来横須賀鎮守府に所属。久しく連合艦隊旗艦となり、終戦に至るまでその巨影を全うした唯一の戦艦である、とあります。
 碑には長門のブロンズ像がおかれ、その下に「ありし日の 聯合艦隊旗艦長門の姿を ここに留めて 昭和の激動の時代を偲ぶよすがとする 政一書」とあります。撰文(碑の文章をつくること)阿川弘之、揮毫(筆で文章を書くこと)新見政一です。

海軍の碑(海軍施設配置)

平成7年11月17日建立




 海軍の碑には、海軍施設の配置図が刻まれてます。昭和20年(1945)8月30日AM9:29、米軍が上陸したグリーンビーチは地図にある海兵団の南側海岸、AM9:30に上陸したレッドビーチは海軍航空技術廠の東浜にあります。そのわずか一時間後、戦艦長門が繋留されていたいた岸壁で横須賀基地の引き渡しが行われています。
 地図の右下、記念艦三笠の上に海兵団、地図の左上、航空隊の下に航空技術廠の場所が見えます。

横須賀の動きの記載は、主に「新横須賀市史」に基づき、細部はウィキペディアを参照しています。