太古の横須賀

太古の自然が創造した美しい岩場が続く荒崎海岸

 横須賀は南帯・中帯(葉山帯)・北帯に分類されます。葉山から久里浜・野比にかけての三浦半島を斜めに横断する地帯が中帯(葉山帯)で、一番古い地層になります。この地層で有名なのは立石で、矢部層というおよそ1200万年前の地層が露出しています。・・・

古代の横須賀

海に身を投げるオトタチバナヒメ(大浦玉陽女子画走水神社蔵)

 今からおよそ1万8000年前の海水面はマイナス120mだったといいますから、現在海に沈んでいる三浦半島の周囲は陸地として露出したいたことになります。その後海水面は上昇し、6000年前には今より2~3m高い位置で安定します。・・・

三浦一族の横須賀

衣笠合戦で怒田城籠城を主張した和田義盛の城跡

 1180年、源頼朝が伊豆で挙兵します。この時三浦党は伊豆に向かいますが、折からの台風の為酒匂川があふれており参戦できませんでした。さらに戻った三浦において平家に味方する秩父党との戦いである衣笠合戦に敗れてしまいます。・・・

幕末維新の横須賀

ペリー公園の記念館にある久里浜港と黒船のジオラマ

 幕末にペリーの来航を受けた横須賀は、我が国の改革の起点としての役割を引き受けていきます。幕末から維新にかけてこの国を変えていった人たちがここに集まり議論をし、浦賀からアメリカへ船が渡り、横須賀港には製鉄所がつくられ近代を牽引していきます。・・・

戦争時代の横須賀

今は平和な風景に溶け込む戦艦三笠

 明治22年に大日本帝国憲法が発布され、近代国家としての日本の骨格が定まります。このあと日本は帝国主義列強の仲間入りを果たし、戦争の時代へと突入していくことになります。・・・

根源としての「水」

勝海舟が眺めたアメリカへと続く海

 「老子」第八章に、「上善は水の若し。水は善く万物を利して而も争わず。衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。*1」とあります。

 また、第四十三章に、「天下の至柔は、天下の至堅に馳騁(ちてい)す。有無くして間無きに入る。*2」とあります。「水はあらゆる生物に恵みを施し」また「あらゆる物のなかで最もしなやかである」というように、老子における「水」は、この世界で最高の存在とされていることがわかります。

*1:最上の善とは水のようなものだ。水のよさは。あらゆる生物に恵みを施し、しかもそれ自身は争わず、それでいて、すべての人がさげすむ場所に満足していることにある。このことが、(水を)「道」にあれほど近いものとしている。(中公文庫「老子」小川環樹訳注)
*2:あらゆる物のなかで最もしなやかなもの(水)が、あらゆる物のなかで最も堅い物を(無視して)突進する。実体がないから、それは何のすきまもないところにはいりこむ。(同上)


 走水神社にある水神社は、水の化身水神として河童が祀られています。横須賀の歴史の根源をたとっていくと、「水」につきあたる、ということがいえそうです。また、河童は水のきれいなところにしか住まないという言い伝えもあります。ここから、「水のきれいな横須賀」というコンセプトを引き出すこともできそうです。


 さらにこの走水神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)と御后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)の二柱がお祀りされています。焼津において野原のただなかで火を放たれた日本武尊は、、草薙の剣で周囲の草をなぎ払い、向かい火をおこして窮地を脱したのち、この走水から上総・筑波に向かいます。そのとき海の神が起こした荒波を鎮めるために自らの命をささげたのが弟橘媛命でした。焼津の神話を「火」とするなら、走水における神話は「水」を象徴しているといえるでしょう。神話の時代からここ横須賀は、「水」にまつわる土地であったのです。


 三浦一族の時代もまた、「水」にまつわるエピソードが続きます。石橋山の合戦に向かう三浦一族を待ち受けていたのは、増水した酒匂川でした。やむなく引き上げた三浦一族は平家勢の追撃を避けるため衣笠城へとたどり着きますが、そこへさらに平家方の軍勢が攻め込んできます。その時夜陰に紛れて城を抜け出した一党は舟倉から船で房総へと脱出しました。ここでもまた、「水」が歴史のキーワードとなっています。


 幕末には、海を渡ってペリーがやってきます。これに対し、勝海舟たちの咸臨丸が海を渡ります。明治維新は、横須賀製鉄所における造船が国造りの基礎となります。戦争中は、この地における海軍の存在が横須賀の歴史を彩ります。まさに横須賀は、「水」に始まり「水」とともにその歴史を刻んできました。


 このことは、現在においてもまた同様です。海上自衛隊の存在や米軍第七艦隊の駐留もそうですし、東に東京湾、西に駿河湾をいだく横須賀は、その景観のすばらしさから海のレジャーの拠点ともなっています。


 将来にわたっても、横須賀市の未来像は、この「水」をめぐるものになっていくでしょう。横須賀市における「水」というテーマには、根源としての哲学的な意味から日常生活における楽しみにいたるまで、大きな役割があるといえるでしょう。