大川周明のこと


1 山十邸


山十邸入口 
 小田急線本厚木駅で降りてバスに乗ることおよそ30分、「局前」というバス停に着きます。局とは中津郵便局のことを指していると思われますが、このバス停で降りて細い道を入っていくと、しばらくして山十邸に着きます。静かなたたずまいの建物で、私が行った時も家の中には誰もいませんでした。

 愛川町のホームページによると、この建物は明治16年(1883)に建築されたもので、地区の豪農熊坂半兵衛という人の住まいだったそうです。「山十」というのは、この熊坂家の屋号です。ここがあの大川周明が晩年に住んでいた場所です。こんな静かな場所に大川周明が住んでいたのかと思うと、なにやら不思議な感じがします。大川は、昭和19年8月にここに疎開して晩年を過ごし、昭和32年12月、ここで亡くなりました。

 バス停から歩いていくと、庭から山十邸に入ることになります。一回りして出口かな、と思い門をくぐると、そこが入口になっていました。写真がその入口です。ここを出て更に先に歩いていくと、中津川に出ます。ここは大川の散歩道だった、かもしれません。

2 日本二千六百年史


 第二次世界大戦の始まった年である昭和14年(1939)に、この本は出版されています。歴史は記述する者の歴史観によって変化するので、どの歴史が真実であるかは一概にはいうことができません。ただ私は、記述された歴史よりも、どのような歴史観に基づいて書かれたか、ということに興味があります。そこに著者の思想と願望が反映されるからです。そして、未来への希望と躍動感のある歴史の記述に、ただ感動を覚えるだけです。

現在は過去より生まれて刻々過去となり、未来は現在に孕まれて刻々現在となる。真個に実在するものは、滾々不尽なる生命の流行だけである。それ故に吾々は、恒に永遠の現在に生きている。


 大川の文章の魅力は、このように流れる文体にあります。この味わい深い文体で大川は、日本の二千六百年の歴史を記述していきます。

歴史もまた過去・現在・未来に属するもの、一層詳細に言えば、過去によって現在を説明し、現在によって未来を察知するものとせねばならぬ。


 ここにいう未来とは、全アジア復興の魁となる東亜新秩序の建設をさしていると思われますが、大川は、有史以来の太古から明治維新までの歴史を踏まえ、東亜新秩序建設という世界維新に至る流れを歴史として記述しています。

如何なる川も、決して当初より大河ではない。黄河・揚子江の大を以てしても、その源に遡れば、ついに谷間の小川である。ただ幾多の支流を合わせ、落ち来る総ての水を東海に向かわしめ行く間に、おのずから千里の長江となる。


 日本民族と日本国家の二千六百年の歴史が、太古の小川から昭和の大河に向かって記述されています。そしてその歴史は、古代・中世において日本は中国や印度の思想や文明と出会いこれを我がものとし、近世・近代においては西洋文明を摂取し、こうして日本民族の精神性は世界における大河となった、という精神の歴史として描き出だされています。

 しかし残念ながら、このようにアジアから西洋に至る文明を摂取してきた日本民族に精神性は、いまだ世界における大河とはなっていませんでした。日本の敗戦がそれを証明しています。大川の言説もまた、敗戦によって否定されたかにみえます。しかしながら、自国の歴史をこのように他国との関わりの中で弁証法的にとらえ、大きな願望とともに未来へ投機するという大川の方法論は、決して間違っていたとは思いません。そして私が最も納得するのは、次のような記述です。

故に之を改造するためには、国民的生命の衷に潜む偉大なるもの・高貴なるもの・堅実なるものを認識し、之を復興せしめることによって、現に横行しつつある邪悪を打倒しなければならぬ。簡潔に言えば、改造または革新とは、自国の善を以て自国の悪を討つことでなければならぬ。そは他国の善なるが如く見ゆるものを藉り来りて*、自国の悪に代えることであってはならぬ。


 今こそ自前の思想、自前の概念、自前の言葉が必要な時代だと思っています。 

3 日本及日本人の道


 「日本二千六百年史」が世界史の中の日本の歴史を描いたとすると、日本人の精神を起点に日本の社会と国家を描いた著作として「日本及日本人の道」が挙げられます。内容は講演の記録です。大川41歳、1926年(大正15)2月に刊行されています。以下、大川の思想の鍵を握る概念とその内容を概観します。

明徳と新民

 大川によれば、道徳的精神はまず、個人の内在において強めかつ深められます。これを明徳といいます。するとこんどは、個人により強め深められた道徳的精神に相応して、社会の組織制度が革新されます。これを新民といいます。個人が変容すると社会もその動きにあわせて変容していきます。個人と社会は連動していて一つのものである、というイメージです。

個人と社会とは、之を倫理的に把握すれば、一体の両面にして相即不離の実在である。


 こうしてできあがった社会は、一定、完成された道徳的精神の客観化ですから、固定的・保守的な性質を持っています。しかし、さらに一層高い社会意識をもった個人が登場し、新しい社会理想をもって全民を動かし、ここに新しい道徳的精神をもつ社会が実現することになります。すなわち、ここで個人と社会が織り成す世界は、道徳的精神の弁証法です。ここに大川道徳論の魅力の一つがあります。

換言すれば、個人とは集約せられたる社会であり、社会とは拡大せられたる個人である。


 ここに、大川の社会観がみてとれます。

国家は客観化されたる道徳である

家族・氏族・部族・国家は、それぞれ家族・氏族・部族・国家として客観化せらるべかりし道徳的精神の実現なるが故に、社会は組織せられたる善、又は客観化せられたる道徳である。(「日本及び日本人の道」)


 社会とは、契約に基づいた組織といったものではなく、道徳的共同性であるということが言われています。個人の道徳的精神が発現されたものが社会なのです。大川の論理が最終的に国家主義となりアジア侵略を正当化する結論にたどり着いたとしても、この「国家とは道徳の共同性である」という思想はなんら揺らぐことはありません。この視点に耐えうる政権がいままであったでしょうか。私たちが家族や国家の現状に思いをはせ、革新を願うとき、大川道徳論がその根拠を示していると私は考えています。大川はこんなことも言っています。

我々は此の日本国を我々の道念に相応する国家たらしめねばならぬ。而して其の新しき道義国家を以て、世界史的使命を果たさねばならぬと信じます。


山十邸にある大川の写真
 道義国家とは、道徳の共同性としての国家ということです。こうした国家において国民は、精神的生活において自由を、政治的生活において平等を、経済的生活において友愛を求めます。芸術や信仰・思索の自由、全ての人間は平等であるという政治の理想、経済生活における相互扶助として友愛、これらを実現しなければならないことが述べられています。

 さらに大川の道徳論は、常に新しき不断の革新の過程にあってとどまることを知りません。道徳とは、法や規範によらず、主観的な意志と心情に基づいて義務を果たすことをいいます。大川の道徳論は、この道徳が新しい社会を実現する、ということを言っています。私たちは、この大川の高揚した精神にこそ学ぶべきでしょう。


参考文献
 「日本二千六百年史 新書版」大川周明著(毎日ワンズ)
 「日本及日本人の道」大川周明著(行地社)